看板と私 その2  看板は本職だけに限らない

 ところで私は、52才の現在までに計6つの看板を経験しています。
 「6回も転職したのか?」いいえ、そうではありません。その訳はこのシリーズを全部読んで頂くと分かって 頂けると思います。
 順を逆にして、最新の看板からお話します。


「おやおや、積算事務所が包丁研ぎか」と首をかしげる方もおられると思います。ご心配なく、 この看板は会社とは別の団地の中にある私の自宅に出してある看板です。「何故、包丁研ぎなどするのか?」と 、よく尋ねられます。その時私はこう答えます。「女性から喜ばれるからです」
 私の第一の趣味は家具造りです。その中で、形には現れませんが、カンナやノミを研ぐ作業があり、 これをもう25年経験していることになります。これを家庭生活に応用して、家内の実家へ遊びに行く時は大抵、砥石 を持参して行き、包丁全部をピカピカにしてあげることにしています。これが女性達に好評で、こんな に喜んでもらえるならいっそ看板を出して近所の方々に知らせたらどうだろう。ついでに値段も書いた方が頼む方も安心 ではないか。こんな経緯で、絵のような看板を出すことになりました。して成績は? 月に約30本というのが現在の ところです。額にして僅かですが、「よく切れるようになった。有難う」と言ってもらうのが快感で、やり出したら 止められません。
 この「研ぎ」の世界も単純に見えて、やってみるとこれが結構、幅と奥行があり、これらについては次、機会があれば お話します。


「覗かれないように」から「覗いてもらうように」への転換

 前述しましたように、仕事の傍ら、趣味で家具を造って30年近くになります。我が家は1階の前半分 をRC造にして半分を車庫に、残り半分を作業場に使っています。30才そこそこ、サラリーマンをしていた頃建てた家です。
 会社勤めをしながら、夜や、日曜日、この作業場に入って、ゴソゴソ、ガーガーするのが気恥ずかしく、通りから覗かれないよう、 窓ガラスは型板4ミリでした。通り掛りの人はここで一体何をしているのだろう?と首をかしげていたと思います。
 ところが、2年前くらいでしょうか、息子とキャッチボールをしていて球がそれ、このガラスを割ってしまったのです。
 それを機会に今度は透明の3ミリに替えてみました。すると中からも外からもよく見えて、まるで世の中がパッと明るくなったような 気がするのです。中で私が何をやっているのか見えるようになってしばらくすると、近所の方や、犬の散歩で通り掛る人達から、 「棚を造って」とか、椅子の修理などがポツポツ持ち込まれるようになって来たのです。
 それならいっそ、看板を出してみようということになり、付けたのがこの看板です。


看板を恥ずかしがる家族

 このように書くと、2つの看板とも簡単に出せたように思われますが、なかなか世の中甘くありません。 世の中というより「家の中」がうまく行きませんでした。
 私が「看板出すよ」と言った時、家内、娘、息子、全員が反対でした。理由は簡単です。「カッコ悪い」「恥ずかしい」 でした。
 それに対して私は、故松下幸之助氏の言葉を引用して説得したものです。氏の言葉を借りると、「今度、こういうすばらしい製品を 造りました。これを使って頂くと必ずあなたの生活にプラスになります」と広告宣伝することはメーカーの義務だと力説されています。 ただ良い物を安く造るだけでは義務を果たしていないのだ、と。そう言えば、氏が存命の頃、テレビや新聞でナショナルのCMは群を 抜いて多かったですね。
 これに対して「お父さんはメーカーじゃない」と反論もありましたが、最後は「皆さんが喜んでくれるのだからいいではないか」と、 押し切ったというのが内輪の話です。
 33年前、建設業界に入った時の懐かしいタワー看板、最近出した趣味に関する2つの看板、計3つの看板の話を披露させて頂きました。