看板と私 その3  固い性格が看板にもでる

 会社と、お客様との接点に立つ、営業の人は明るく、人当たりがよく、柔軟性のある人が向きます。これに対して 現場や、我々のような積算に携わる人は一徹と言うか、自分の考えを貫く人、固く真面目な人が向き、自分もその1人ではないかと思って います。
 自在に回転する接点がピン構造なら、何があろうとも直角90°、ガンとして角度を変えないのがラーメン構造、又は剛構造。そのような 意味合いから、昭和53年、それまで勤めていた工務店を辞して積算事務所を開業した時に出した看板が「剛積算事務所」です。
 独立開業にあたって、社名を何という名前にしようか色々考えました。こんな場合誰でも簡単に思いつき、且つまともなのが、自分の姓を 上につけた〇〇建築積算事務所です。ところが私の姓は潮田(うしおだ)。そのままでも言いにくいのに更にその下に建築積算事務所 と続けると余りにも長く、言い難い。そこで前述の建築用語から「剛」を取って来てこのような名にした訳です。
 結果的にこの名前は個人経営で過ごした5年間だけ使っていたことになります。その間外部の人達からは「ゴウさん」とか「ツヨシさん」 と呼ばれ、あまり感じのよい名前ではなかったと思います。


「名は体を表わす」 社名で仕事が分かるように

 私が開業した昭和53年頃、三重県内に建築積算事務所はゼロでした。そんな中、名刺を出しても仕事の中身が理解 してもらえず、説明に苦労したものでした。
 「名は体を表わす」。体を表わせる名はないか、こんなことをよく考えていたものでした。元来がスロースターターの私は、開業6年目 にしてようやく1人の従業員さんを得、それを機会に個人経営から脱皮し、有限会社として法人登記をするようになりました。その時 考えたのが現社名 (有)建築見積センターで、以来16年経った今もこの名前が気に入っており、ずっと変えるつもりはありません。
 その後、建設ブームに乗って、社員さんが2人3人と増えて、自宅兼事務所では狭くなり、1回目の社屋建設となりました。7人めの社員さん が入社したのを期に、2回目の建設をしたのが、今入っている建物です。いずれの場合も私は外壁に堂々と看板を付けます。それが商売の常識 と考えているからです。



何度も目にすることにより印象が残る

 設計の業界もそうですが、我々積算事務所も机一つ、電話一本、そしてパソコンと最近はネット接続環境があれば 開業出来る為、社屋だの、看板だのはあまり縁が無く、マンションの一室を借りて作業し、看板と言えば集合郵便受けに差し込んだ名刺 1枚という例も珍しくないと思います。最近話題のSOHOというものでしょうか。市街地ではこのような状態もやむを得ないと 思います。でもこれですと何十年続けても、世間からは無名になってしまうのではないでしょうか。
 一方、コマーシャルや看板はそれを見たり聞いたりする回数に比例して人々の頭に残り、近親感がやがて安心感、信頼感に変わって行く、 私はそう考えています。分かりやすい例では自動車など。
 値段や性能にあまり差が無いとすれば人々は名の通った(何度も目や耳にする)会社の商品を選ぶのが安心というものです。私は本職は 勿論、趣味においてもなるべく通りに面した所に看板を出すようにしています。


看板車は無料のコマーシャル

 これで5つの看板を紹介したことになります。若き日、松井建設での4年間を経て、22才で故郷の三重に戻った 私は、津市内の工務店さんに丸10年お世話になりました。
 そこでの10年間は看板に関してあまり思い出はありません。あるとすれば、会社から貸与された軽ライトバンにデカデカと〇〇工務店 と看板が書かれているのに比べて、社長のそれは当然ながら無印の高級車、これをうらやましく思ったくらいです。
 ところが、大変残念なことに、その工務店さんは平成10年4月、銀行の貸し渋りを喰らったのか、破産宣告を受けてしまい、看板どころか、 会社そのものが無くなってしまいました。よって、6つ目の看板は、この工務店さんのではなく、私が乗っている車に書いた看板の話に 変更させていただきます。
 その工務店さんに勤めていた10年間は、ずっと社用車(といっても軽ライトバン)を貸してもらい、公私の区別無く、経費は全て会社持ちで 有り難く利用させてもらいました。
 マイカーを持たなかったお陰で、マイホームが早く建ち、その点は感謝しなければなりません。しかし背中に書かれた看板は時として 重苦しく、無印の車に乗れたら気が楽だろうと何度思ったかしれません。


車に看板を書きたくなる

 ところが脱サラして小さいながらも自分のビジネスを持ち、自分でこの仕事を広めていかなくてはならない立場に なると、この気持ちは180度変わってしまいます。心底、車に看板を書きたくなったのです。あれほど工務店の看板を重苦しく感じ、 社長の無印の車をうらやましく思った自分です。人間って勝手なもんですね。
 個人であれ、会社であれ、その代表者が乗っている車は大抵、会社の経費で賄われていると思います。私の場合も安いながら会社持ち です。一方、会社の発展を一番に強く願っているのは代表者、その人です。社員が乗る車に看板を書くなら当然、代表者の車にも大きく 書くべきではないか、そのような考えから私の乗る車には代々、絵のような看板を書くことにしています。お陰で、どこに行くにも私の 背中にはこの看板がついて廻る訳ですが別に不自由は感じません。これが固い「剛」といわれる所以でしょうか。