何事も過ぎたるは及ばざるが如し

 その蟹を捌く包丁というのが厚手の出刃包丁、これで蟹の足をブッタ切るので 刃がこぼれてギザギザになってしまいます。先ずはこれをグラインダーで真っ直ぐに揃え、厚くなった刃を 薄く削り、その後、粗研ぎ、中研ぎ、仕上研ぎという具合に進めて行きます。作業は結構大変ですが、仕上がった後、 試し切りで期待通りの切れ味になるとこれがなかなかのものです。
 本業は、というと当社も御多分にもれず毎日残業という程忙しくは無く、大抵は定時で終わり、後は真っ直ぐ家に帰り 夕食の前と後にこれらの作業に没頭するようになります。


親指の変調

 それから2.3ヵ月後、右手親指の変調が気になり出しました。それはちょうど、バレーボールなどで突き指をした時の 痛さと同じです。日一日と、だんだん痛みが増していくのです、やがて親指の第一間接が曲がりにくくなってきました。 この時点で心配になり、外科の先生に診てもらうと「腱鞘炎(けんしょうえん)です、それもかなり重症の」とのことです。 どうしたら良いですか?と私。「患部にステロイドを注射して効けば儲ものですが・・・普通は手術ですね」
ええっ!! 一瞬目の前が真っ暗になりました。右手を手術?、仕事はどうなるのか、趣味の木工や刃物研ぎは二度と出来なく なるのか? もうこうなると親指への注射が痛いなどと、悠長なことは言っておれません。ダメで元々、とりあえずステロイド 注射を打ってもらいました。親指を極力使わないようにして一週間様子を見ましたが一向に良くなりません。やむ無く手術をお願い することになります。


料理される鯉の気持ち

 つい昨日まで元気よく池の中を泳いでいたのに、目の前にぶら下がったエサに喰い付いたばかりに生け捕りにされ、連れて来られた のが調理場、ヒノキの板の上に乗せられ、よく切れそうな包丁を持った料理人さんが今、正に手を下そうとしている時の鯉の気持ち。


 初めて乗った手術台の上ではこんな心境でした。お医者さんの話によると「なに心配はいりませんよ、私らが外科医になって初めて やらしてもらうのが腱鞘炎の手術です。約15分で終わります。日が経てば元に戻りますよ」とのこと。本当かいな。
 手術の日が決まってから当日の直前までは心配しても同じことなので極力考えないようにしました。でも当日台の上に乗ると考えない訳には いきません。


天にも昇る心地

 テレビの手術で見る、あの無影灯に照らし出され、先ずは入念な消毒から。次に親指の付け根に麻酔注射をプスリと2発、これが 痛いのなんの! しかしこれが効いてくるとすっかり感覚が無くなり、何をされているのかサッパリ分かりません。(見ようとすれば 見えるのですが、目をしっかりとつぶっているので)息遣いが荒くなり、額に脂汗をかいているのがはっきりと分かります。手術をする方 にとってはたった15分が、される方にとっては1時間にも、2時間にも思える長さです。やがて「縫い合わせます」。 「あと少しの辛抱です」と声が掛かり、「ハイ終わりました」の一言には正に天にも昇る心地でした。
 ヤレヤレ、ゆっくりと「台」から降り、改めて見るお医者さんの顔がまるで神様に、助手を務めて下さった看護婦さんが天使のように 見えました。こんな悲痛?の時にも私はユーモアを欠かしません。彼女に「女性のお産はこれの何倍くらい苦痛ですか?」と 尋ねてみました。答えて彼女、「十倍以上です」。何と女性の辛抱強いこと。これはひょっとすると、神様が女性に出産を義務付けた代償に 苦痛を男より割り引いたような肉体を与えたのではないでしょうか。私はそんな気がします。


女姓は偉大

 ついでに私事で恐縮ですが、私の妻君は3人の子供を産む為に、その都度帝王切開に耐えてくれました。ということは今回の私の 苦痛は彼女の30分の1ということになるのでしょうか。我が子の為には自分の身を傷めてまでも尽くす。正に女姓は偉大です。
 もう一つ、仕事とはいえ重い責任を負って、他人の体にメスを入れて下さるお医者さんには本当に頭が下がります。
 その後、お医者さんが「手足の一部分に極度の負担を掛けると、どこでも腱鞘炎になります。もし刃物研ぎを続けられるのでしたら 手作業の部分をなるべく機械に置き換えたらどうですか」。このお言葉に従い、3台の研磨機(粗研ぎ、中研ぎ、仕上げ研ぎ)を購入し 懲りもせず、刃物研ぎは続けています。包丁やハサミ、鎌など月50本はこなしております。
 繰り返しますが、過ぎたるは及ばざるがごとし。お互い気を付けましょう。