専門業者の呻き声 その1

昔は棟梁、今は一職人

 隣に住む木造大工さんと町内の親睦旅行でゆっくりと話す機会がありました。彼の話です。 昔は施主さんから、間取りの相談 に始まり着工から引き渡しまで、様々なやりとりをしながら家1軒、 丸ごと任せてもらえたので今考えると楽しく、やり甲斐があった。
 或いは、工務店の下で参加する場合でも大工は職人の頭として他の職人からは「棟梁」として一目置かれ、 何事もまず相談が持ち込まれたのでそれなりに納得がいった。
 しかし時代が変り、今は住宅会社の下で働いているので、 本当の意味での施主さんとの接触がなくなってしまった。 物事は全て、施主さん→営業担当→現場係員→大工 この順になるので、 自分の意見やアイデアを直接施主さんに言えないのが歯痒い。 結果、棟梁として立ててもらえる場面は少なく、与えられた役割を 黙ってこなすだけの一職人になってしまった。
 住宅会社からの要求ごとは年々増加し、最近は夕方、掃き掃除の上に掃除機まで掛けろと言われる。家で使ったこともないのに。
 また、日本間が一部屋だけになり、腕の見せ所が減ってしまったのも淋しい。
 その他、昔と変った所は木材への「墨付け」や「刻み」など、前半の仕事が工場でのプレカットになって体が楽になった。 道具類が進歩し便利になった。 新人が親方の元へ弟子入りして来ることが減って、訓練校に1〜2年通い、従業員として入ってくるようになった点など。
 将来の夢は?と聞くと「出来れば、施主さんが木の良さを見直してくれ、杉や桧など、木の美しさが表面に出るような家を棟梁である自分達に直接頼んでくれるようになって欲しい。 そうなれば住宅会社は敵ということになるが・・・。今は、その敵に飯を喰わせてもらっている。」
 皮肉な話です。


重責を負わされる「職長」

 次にお邪魔したのが、大手ゼネコンを中心に鉄筋工事業の会社です。
 番頭さんからお話を聞きました。鉄筋工事の進め方は昔と殆んど変化はなく、強いて言えば加工機械が進歩して使いやすくなった事くらい。 大きく変ったのがゼネコンの下請に対する管理が厳しくなった点、とりわけ「安全」に大変な時間とエネルギーが費やされることです。
 昔、「世話役」と呼ばれ、今は職人さんたちのリーダーである人を「職長」と呼び、集団の束ねはもちろんのこと、毎朝の朝礼で、 その日の作業予定、それに対する危険の予知などの発表に始まり、午後の職長会議、夕方の清掃の指示、その間を縫って作業品質のチェックの他に労務、 安全に関する山ほどの書類の作成があり、目が回るほどの忙しさと責任の重さです。
 昔は腕が立ち、工期内にキチっと納めるのが良い職人、世話役として評価されたものですが、それは当たり前で、 その上に今述べた様々な間接業務をキチっとこなす能力が要求されます。この有能な職長さんに掛る人件費を、 直接工事費にプラスしてゼネコンが支払ってくれれば「まあ仕方ないか」と諦められるのですが、 「それはトンいくらの中に入っている」と言われゼロです。この点が親方にとって一番つらい所です。
 他方、地元の中小工務店の仕事の場合は管理や、要求ごとがぐっと少なくなり、書類も官庁提出用の最小限度で済むので、 職長が常駐する必要もなく、職人さん達ものびのび働けるので、こちらの方へ行きたがります。
 その他、新しく入って来てくれる若い人の「質」と「量」の問題は、どの職種でも共通の悩みです。 細かいことを聞けば聞くほど気の毒になり、最後に「アンタの所はエエなあ、競争相手が居なくて、うらやましいよ」と言われ、 何となくすまないような気分になり席を辞しました。