税務調査 その1  有り難くない知らせ

 ある年の12月頃のことです。税務をお願いしている税理士さん(この方はその上公認会計士でもある)から電話が入りました。 「見積センターさんにもいよいよ税務調査が入ることになりました。署では12月17〜18日にどうか、と言ってますが都合はどうでしょう?」
 どんな会社にも掛かって来る電話は大きく分けて3種類ではないかと思います。

A.有り難い電話(仕事の注文やお礼など)
B.ごく普通の連絡事項
C.有り難くない知らせ(不幸やお叱りなど)

 今回の電話は明らかに、Cの部類です。事業を営んでいる以上、いつかはこんなこともあるか、と思い読んだ本の最初の方を思い出しました。それは・・・
一口に税務調査と言ってもそれは大きく2つに分かれる。一つはテレビや映画でもお馴染みの「強制捜査」。 国税庁 調査査察部が大口脱税者に的を絞り、事前に綿密な調査をしておき、証拠を固めます。ある日、関係各所に一斉に踏み込む。総勢50名は ザラだそうで、これには受ける方に有無を言わせません。問答無用で押し込み、必要な書類は全て押収されます。
 一方、我々零細な業者が数年に一度受けるのが「任意調査」。こちらは悪意の無い一般納税者の納税状況を「確認」にお邪魔したい。 というのが目的で、何ら強制力を持ちません。担当するのは各地の税務職員です。
 任意調査ですから、納税者の同意と協力が前提であります。ですから署の方からいつ何日は都合が宜しいでしょうか?と尋ねてくる訳です。
勿論、各納税者には個別の事情があります。約1ヶ月くらいなら延ばしても一向に差し支えはない。
 これがその本の初めの部分だったと思います。「私の所では年末までに、と言う仕事を抱え大変忙しい。落ち着いて税務署さんのお相手が 出来ないので、年を明けて、一月の中旬にお願いします」。このような返事をして受諾し置きました。
 実を言うと、忙しいのは社員さんで、私は2日位いのお相手はして出来ないことはなかったのですが、さりとて相手の 言うままになることも無いので、先ずは軽いジャブを返しておきました。


やましいことはしていないので問題は無いはず

 同業者の会合に何度となく出て行っても「俺のところに税務調査が入ってなあ・・・」と言う話は 一度も聞いたことがありません。10数年もの間、積算事務所に税務調査など無縁と対岸の火事のようなつもりで、変な自信を 持っていました。しかし、その日からは会社の運営と家庭のことしか考えなかった頭の一角に「税務調査」という得体の知れない 灰色の部分が座を占めるようになって参りました。余計なお荷物を背負い込まされる。そんな心境です。
 このように書くと見積センターでは何か税金のことでヤマしいことをしているのか?と勘ぐられるのはもっともなことですが。 「いいえ、断じてそのようなことはありません」と100%言い切れないのが殆どの経営者ではないでしょうか。自分では真面目に やっているつもりですが、さりとて聖人君子でもありません。叩けばホコリの一つくらい出て来るかも知れません。場合によっては お役所からもボロが出るのですから。
 まして企業経営は生き物です。刻々と変わる世の中、お客様の様々な要求を何とか捌きながら今日までやって参りました。基本に 忠実に、まして脱税など、そんな意図は全くありません。


目的は徴収

 その頃、既にバブル景気が終焉を告げ、好景気の反動がアチコチに現れ始めた頃でした。
 企業の決算が赤字になれば国には入るべき税金が入ってきません。危機感を募らせた大蔵省が全国の税務署に発破を掛け 「何としてでも、取れるところから取って貰いたい」ということでしょう。税理士さん曰く「納税状態の確認 というのはあくまでも 表面的な理由であって、彼らの目的は、あくまで取ることにあるのですから、来た以上は手ブラでは帰れないでしょう。たとえ僅かでも お土産を持たせてやらないとダメでしょうね」。まるでやくざがタカリにでも来るような口ぶりです。
 その後、税理士さんより電話が入り、翌年1月16、17日よいう日取りに決まりました。もうそれ以上延ばして欲しいとは言えません。 その2日間、私は否が応でも税務署員とやり取りしなければならない運命になってしまいました。犬に例えると、首輪も、鎖も付けられず 、自由に動き回っていたのにある日周りに囲いをされてしまったような、そんな感じです。


備えあれば憂い無し。前準備を始める

 噂に聞く、私にとって得体の知れない客「税務署員さん」は約1ヶ月後にお越しになるといる事が決まりました。 その1ヶ月間は通常の業務を行いながら、一方ではその事をチラチラ念頭に置き、先ずはその実情を知るべく書物を探すことにしました。
 いつもながらの業務から開放されて、のんびり出来る年末年始のお休みも何となく気が晴れず「明けましておめでとう」と言った ものです。その間に得た知識はおよそ次の通りです。
 調査官が全神経を集中して見るのは帳簿類ではなくて、実は経営者の人柄であるということです。つまり、この経営者は税金を ゴマ化す人かどうか、これを最初の話を通じて判別しているのです。印象が悪ければ悪いほど綿密に調査をするということです。
これはちょうど入社試験と同じですね。ペーパーテストの成績もさることながら、重きを置くのはその人の人柄ですから「面接」を 重要視する訳です。これと全く同じ方法を採っている訳です。それなら話は早い。


無駄な経費は使っていない

 自分の経営に対する考え方を理解してもらえば問題ない。急に気が楽になりました。私の経営に対する考え方はおよそ次の通り です。私達が働いてお客様の役に立てれば当然、それに見合った報酬は頂戴出来、それを1年間集計して利益が出れば、ある一定の 割合で社会(国)にお返しするのは当たり前である。社会がうまくいって、当社もお客様の会社もうまくいくのだから。税金を 払うのが惜しいと考えず、税金を払って残ったお金が本当の会社のお金である。そのお金を将来の為に有効に使うのが経営者の 腕である。その為には無駄な経費は1円も使わない。例えば私が乗る車は1,500cc、150万以下と決め、しかも後ろへ 会社の看板を書いて、7〜9年は乗ることにしています。このようなことを理解してもらえれば、税金をゴマ化す人間かどうか区別は 付くだろう。第一関門は良しです。
 その他、直前になって準備したのはおよそ次の通りです。

1.過去3年分の決算書類、請求書、領収書の控えを揃えておく。
2.料金見積書、注文書、作業伝票、を年月日の順に揃えておく。
3.取引先一覧表を整備しておく。
4.引出しや、本立て、ロッカーの中を片付けておく。

 大体このようなことをしておいて、後はマナ板の上の鯉、「煮るなり、焼くなり好きにしてくれ」の心境でその朝を 迎えました。
 でもさすがにその前夜は落ち着かず、晩酌は通常日本酒1合のところ2合飲み、結構酔ったところで床に入りました。


小口納税者には若手1人で十分か

 税理士さんからは、通常、税務調査はベテランと若手の2人1組でやって来る。と聞いていましたが、当日、我社の ドアを開けたのは20代前半とおぼしき若手がたった1人。
 一瞬、拍子抜けとも安堵ともいえない妙な気分で税理士さんと顔を見合わせたものです。
 ところで、「招かざる客」の代表格でもある税務調査官、考えてみれば気の毒な職業ですね。普通の公務員ならまずは選ばないでしょう。 かといって誰かがやらなかったらこの国の台所は守れません。学校、警察、消防、自衛隊、道路、橋など、ゆりかごから墓場まで、世の中の あらゆるものが国費で賄われている以上、全国民が等しく納税の義務を果たさなければこのシステムは崩壊し、色々支障をきたします。 平生はこのように悟っていても、いざ払うとなれば1円でも安いほうが良いのが税金です。我々庶民の感覚でしょう。正に「本音と建前」ですね。
 税務署員1人1人の頑張りが国を支えている。このような使命感が彼らを奮い立たせているのでしょう。たとえ「招かざる客」と言われようが。
 私達民間人は初対面の人に対して真っ先に行うのが名刺交換ですが、彼ら役人さんはここからすでに違います。取り出したのは顔写真入り 身分証明書、これに口で付け加えます。「津税務署、法人3課の〇〇です。」仮にA君としておきましょう。
「ご苦労様です。ところでAさんはどちらの出身ですか。」と、質問を始めたのは何と税理士さんの方からです。A君の話によれば、昨年3月、 京都の大学を出て、大蔵省に入り、更に6ヶ月間、税務大学校で学び、10月より津税務署へ配属になり、この業務に就いてまた3ヶ月とのこと。
「しめた、まだヒヨコ。」このような安堵感が私と税理士さんの頭をよぎりました。