もう一つの趣味?「クラス会幹事」
 クラス会といえば懐かしい人々と何年ぶり、何十年ぶりに顔を合わせることが出来、 独特の雰囲気を味わえて楽しい会合ではあるが、その幹事だけはやりたくないと思われるでしょう。 大勢の人たちの行方を探し、連絡を取るのが面倒である、こんなところが通り相場ではないかと思います。 私も10年前、第1回目の幹事を引き受けるまではそんな気でいました。
 ところが、小中学校からの幼友達で現在大阪に住んでいる女性と別の機会で顔を合わせた時に「ぜひやって頂戴」と懇願されました。 じゃあ一回だけやってみるか、となりました。その準備を進めてゆくうちに、この仕事(遊びかも?)の面白味が分かってきました。
 最大の面白味は、同じテーマを50人の人たちに投げ掛けると50通りの答えが返って来る点にあります。 返って来る一人一人の返事の中身から、卒業後の人生の歩み方がおぼろげながら分かる気がするのです。 もちろん、返事の無い人もあります、それもその人の返事であります。
月並みなクラス会はやりたくない。
 さて、普通クラス会の準備と言えば、まず3〜4人で準備会を開きます。日時、場所などを決め、住所録を出し合い、 それに載っていない人の住所を探し出します。それに平行して印刷屋さんに行き、案内状を決り文句のサンプルの中から選んで発送し、 返信ハガキで人数を確定する。会費は当日会場で集める。やがて宴になり、その後二次会、三次会の後、酔って分かれて終了。 だいたいこのようなパターンが想像されます。
 筋書きとしてはこんなものですが、実はこの中に厄介な問題が一つ存在します。 それは「出席」と返信ハガキを送っておきながら、当日に来ない人が1人か2人はいるということです。 それだけでも不愉快な上に、その後始末(金銭的)を幹事1人が負わざるを得ない、 このような点が幹事が敬遠される原因の一つでしょう。
 以上のような問題を考慮して、私は私なりの方法で募集をしています。それは・・・

 案内は往復ハガキではなく、封筒で出します。その中にクラス全員の住所録と卒業写真のコピーを入れます。・・・これは懐かしさを誘い、お互い横の連絡を取り合ってムードを高めるのに役立ちます。

 会費を当日集めるのではなく、郵便局に設けたクラス会口座に先払いしてもらいます。・・・
これは当日の会費集めの仕事を減らせるのと、ドタキャン時の悔しさを免れるのに効果絶大です。

参加しない人達にも小額の負担を求めます。・・・クラス会と言えば恩師が付きものです。とは言っても会費を頂く訳にもいきません。また、通信事務費も当然掛かります。不参加といえども経費は掛かっているので、会終了後に写真を送るのも含めて 2,000円を送金してくれるよう、案内分に書いておきます。
 だいたいこのような方法で、中学3年当時の仲間を募集しましたところ、 最初に述べましたように各人様々な返事が届きました。一緒に世話をしてくれた妻共々、大変面白い経験をしました。
出席者全員から感謝され病み付きになる。
 文を作ったり、字を書いたりすることはあまり苦にならない私ですが、お喋りは大の苦手です。 したがって会が始まってしまえば皆さんが主役です。私は隅の方で大人しくしているのが常です。 約30年振りに再開した女性の中には涙を浮かべる人も珍しくありません。一人一人順番に近況報告をした後に大抵、 こんな楽しいのも世話をして下さった幹事さんのお陰、と私を労ってくれるのには感激してしまいました。 この時の感激がそれ以降、小学校、高校、元職場、町内会と次々に幹事を引き受ける原因になるのでした。
 宴もたけなわの頃、かねて手配しておいた写真屋さんの登場です。この全員の集合写真は後日40センチの 額縁に入れて宅配で送ってあげます。これがまた喜ばれます。
 会費として12,000円を頂戴しますと このような手厚いお世話をした後にまだ幾らかのお金が残ります。これは次回のタネ銭として蓄えておけるのですが、 昨今の不景気ですとこの額はちょっと高いかなと自信が揺らぎます。
クラス会以外でも幹事が好きになる。
 年号が昭和から平成になった年のこと、今からもう12年も前のことになります。 私に町内会の「組長」という役が回って参りました。口下手の私ですが順番ですから断ることが出来ません。 やむなくこなしているうちに、年明け後の会合の中でみんなで花見をしたいという声が上がりました。
 私はあと少しで次の人と交代なのでその場では静かにしていました。が、たちまちのうちに決まってしまい、 組長である私と妻でその準備をすることになってしまいました。 もちろん、気の合う人達にも手伝ってもらいましたが。
 この時の詳しい説明は省きますが、 参加者からは大いに感謝され、これがキッカケで、組合有志による2ヶ月に一度の食事会が発足しました。 原則として夫婦で参加のこのグループも「楽しい」と好評です。16人の会員中ほとんどが参加してくれます。 さらにこれが発展して、年一回はバスで日帰り旅行を、ということになりました。バスをチャーターして、 参加者25人くらいのバス旅行が定着しました。これもまた幹事は私と妻です。
 もう一つは元職場のOB会ですが、こちらは残念ながら平成12年を最後に会が消滅してしまいました。 なぜかと言いますと、その会社が破産宣告を受けて会社そのものが無くなってしまったからです。 その後もここの出身者と取引関係の人達7名でOB会として会合を持っていましたが、 「〇〇工務店OB会」と呼ぶのも何か変で、もうこの辺で幕を、となり平成12年を最後に終わってしまいました。
 小学校、中学校、高校と計5回のクラス会幹事を経験した私も54歳。あと数年で還暦となれば、 またこれらのクラスメート達が「やってくれ!」と言ってくることでしょう。その時も私は喜んで引き受けるつもりです。 そして最初に述べた3つの方法は変えないことでしょう。